カラオケ事業の始まり。
その誕生から8トラック全盛時代
カラオケ誕生から半世紀が過ぎた。老若男女問わず楽しめる間口の広いコミュニケーションツールとしての役割を担い、国民的娯楽と呼ばれるまでに至ったカラオケの歴史を、ここではハードとソフトの変遷を通じて辿ってみたい。
1960年代の後半、主に軽音楽のBGM再生機として使われていたコインボックス内蔵の8トラック式小型ジュークボックスにマイク端子が付く。1967年には根岸重一氏(日電工業)が軽音楽テープ等を使って歌唱をミキシングするサービスを小型ジュークボックスに追加提案した「ミュージックボックス」(後の「スパルコボックス」)を発売し、世界初のカラオケマシーンが我が国に登場する。
軽音楽テープが「聴くこと」を目的としているとすれば、カラオケテープは「歌うこと」を目的に作られる。厳密に言えば、プロ歌手ではなく、素人に歌いやすくアレンジされていなければならない。仮にこうした定義に基づくと、国民皆唱運動を展開した山下年春氏(太洋レコード創業者)が'70年に発売した伴奏テープ(8トラック式)は、初のカラオケソフトと言える。
その翌年、井上大佑氏(クレセント創業者)がスプリングエコー、コインタイマー内蔵のマイク端子付き8トラックプレーヤーを手作りで製作。弾き語りで録音した伴奏テープ10巻(40曲)をセットして店舗へレンタル提供した。店舗での使用料金は1曲5分間100円だったが、神戸市(兵庫県)の酔客の人気を博し評判となる。カラオケが業務用として誕生し、普及していった過程を考えれば、カラオケビジネスの始まりは'71年だと言える。
こうして誕生したカラオケマシーンとソフトそしてビジネスは、第一次オイルショックが起きた'73年には大不況が叫ばれる中にも係わらず、社交場の救世主として各地で注目を集める。ハード、ソフトメーカーが相次いで登場してレンタルを開始。バー、スナックなど酒場市場や旅館・ホテルなどのバンケット市場へ急速に普及していった。'76年にはテイチクが豊富な楽曲ライブラリーを背景にカラオケテープを販売。家電・音楽業界からはクラリオンと日本ビクターが参入している。
カラオケ誕生後の10年間は家電・音楽業界の大手やカラオケ専業の「四畳半メーカー」が技術及びアイデア競争を繰り広げた時代だった。そしてハード、ソフト共に質が向上して歌いやすくなり、カラオケ愛好者も大幅に増加。家庭にも浸透して新たな娯楽を創設した。
「絵の出るカラオケ」への進化とオートチェンジャーの登場
'80年代初めに、その後のカラオケのスタイル・方向を大きく決定づける2つの技術が登場した。「映像カラオケ」(LD、CD、VHD)と「オートチェンジャー」の登場である。それまで、カラオケといえばテープの曲に合わせて歌詞カードを見ながら歌うのが普通だった。それが映像カラオケの登場で、画面に背景画像や歌詞のテロップが流れ、モニター画面を見て歌えるようになったのである。
レーザーディスク(LD)カラオケは'82年にパイオニアが初の業務用システムを開発。翌'83年には日本ビクターがVHDカラオケで、映像カラオケ市場に参入した。また、こうしたハードと歩調を合わせ、従来のカラオケ専業メーカーや映画、レコード会社各社も相次いで映像ソフトのシリーズを発売。選曲、画像、歌いやすさといった各社のオリジナリティーを生かしながらしのぎをけずった。
こうして、映像カラオケは「絵の出るカラオケ」としてファンのすそ野を広げ、'89年から'91年には、カラオケ出荷台数の8割を占めるに至る。
一方のオートチェンジャー(リモコン選曲)は、'84年に第一興商とソニーがCDチェンジャーを共同で開発。コンパクトで簡単にリモコン操作ができるといったメリットが受け入れられ、需要を伸ばした。また、小型で持ち運びが可能であることも奏功し、旅館やホテルなどのバンケット市場にも浸透した。
オートチェンジャーは即座にLD、VHDにも採用される。スナックなどではカラオケを操作する手間が省け、人件費も削減できるとあって、マニュアルタイプ(手動式)からの買い換え需要を創出した。
映像カラオケは、後にCD-I、ビデオCD、CD動画など、最先端技術を採り入れて、コンパクトかつ高性能に進化を遂げる。オートチェンジャーは、各システムと組み合わせられ、オートタイプ(自動式)の市場を作り上げることになる。
若者の潜在需要を背景に新規市場
を開拓したカラオケボックス
それまでもクルーザーを改造したカラオケボックスなど、ボーカルスペースの変わり種は存在したが、船舶用コンテナを改造した屋外型カラオケボックスが岡山県に登場したのは'85年である。そこでは主にCDオートチェンジャーが導入されていた。不特定多数の人々が利用するため、機器は利用者がソフトに触らない「非接触型(自動式)」である必要があった。そういう意味では、オートチェンジャー普及がカラオケボックスの誕生と市場拡大を促したとも言える。
カラオケボックスは、それまでの潜在需要層とも言える若者のニーズを満たし、酒場市場、バンケット市場に加え、まったく新しい市場を創造した。当初、郊外のロードサイドが中心だったロケーションも、繁華街、ビジネス街など、商業地へも移行し、全国的なブームを呼ぶようになる。
'90年になって登場してきたのが集中管理システムである。レジャービルなどに複数のオートチェンジャーと管理コンピュータを配置したセンター室から、同軸ケーブルで界隈の契約店舗の端末にカラオケを提供する。最初は酒場が密集した歓楽街の効率化を目的にしたシステムだったが、多曲化が図れること、ランニングコストを低減できることなどが評価され、その後、カラオケボックスや大型の旅館・ホテルにも採用されていく。
カラオケボックスの集客を目的とした採点機ブームやディスコ並の豪華な照明システム、音場空間を演出する音響機器アイテムが盛り上がりを見せたのも、カラオケボックス市場成長期に当たる'90年代前半の特徴である。
マルチメディアが具現化した商品、通信カラオケの普及
'92年、通信カラオケが登場する。当初、他のカラオケソフトと同様、約3,000曲のラインアップでスタートした新メディアは、その後の増曲を機に(1)曲数の多さ、(2)新譜リリースの早さ、(3)コンパクトさなどが評価され、普及に拍車がかかる。それまでカラオケボックスの主役だったLDオートチェンジャーのソフト収納容量が限界となり、ハードの追加、交換時期と合致したことも同システムの普及を後押しする要因となった。世間では「マルチメディア」という言葉が流行し、双方向性を持つ通信カラオケはマルチメディアが唯一具現化した商品と称され、ボックス需要の高まりとともに他業種からのメーカー参入と既存メーカーの開発着手が相次ぐ。
'95年には、すべてのメーカー(15社/10システム)の商品が出揃い、通信カラオケ時代に突入する。この年の通信カラオケ出荷台数は10万4,000台。全出荷の約8割を占める。曲数の多さと新譜リリースの速さは主な利用者が若い世代のカラオケボックスで支持を得て加速度的に通信カラオケを広めたが、中高年層が主体の酒場では物語性のある映像と音・画質の良さを理由に、LDなどのパッケージメディアを根強く望む声があった。よって通信カラオケ登場以降もパッケージメディアの取扱いはあったものの、通信カラオケは進化を重ね、酒場においてもそれまでのパッケージメディアを席捲して置き換わり、'06年には出荷の100%が通信カラオケになる。
カラオケメーカーの相次ぐ合併による業界再編
新規市場として急成長したカラオケボックス市場だが、'96年の160,680室をピークに'01年にかけて過剰出店の調整局面(約25,000室減)を迎える。'01年以降は約20年間にわたってスクラップ&ビルドを繰り返しながらも12~13万室をキープしており、適正市場が維持されている。ただ、出店ラッシュから調整局面を迎えた新市場に加え、30万を超える店舗に導入されカラオケの主力市場だったバー・スナックなど酒場が、不況と業態転換で年間1万軒以上の経年減少が'96年以降毎年続いたことは業界にとって大きな痛手となった。
'95年に通信カラオケ時代へ突入後、メーカー各社は次々と新商品を発表。自社端末数の拡大を目指して伝送速度とハードディスクの蓄積容量向上を背景に、パッケージメディアに劣っていた点をことごとく改善していった。また、この頃、ギターやキーボード演奏とカラオケを融合した参加型の新たなカラオケスタイルも提案され話題となった。が、相次ぐ商品開発と競争激化は、長引く景気低迷と相まって、メーカー及び販社の体力を奪う結果となる。
業界の再編。'99年タイカンとミニジュークが合併。'00年有線ブロードネットワークスと日光堂が業務提携。さらにユーズ・BMB エンタテイメントと社名を改めた日光堂が'02年タイカンと合併、'04年には続いて買収したパイオニア並びにクラリオン系のカラオケ関連会社などを含め、同社関係子会社の統合を図る。'06年、エクシングがビクターレジャーシステムとタイトーの業務用カラオケ事業を買収。BMB(旧・ユーズ・BMBエンタテイメント)は'07年にセガ・ミュージック・ネットワークスを買収する。そして'10年7月にはBMBがエクシングと合併し、第一興商とエクシングのメーカー二社体制となる。
ブロードバンドに対応したシステムの進化
この間、システムの流れは、市場を特化して必要な内容だけにスリム化した低価格帯モデルの投入や高齢者介護&福祉施設向けコンテンツを備えたシステムが登場。また、'02年以降は、ブロードバンド環境の整備に伴い、メーカー各社より、生音・動画等大容量データを活用した通信カラオケが発売。また他方カラオケ機器を用いたゲートウェイビジネスが開始され、新たなネットワーク時代のビジネスシーンが提案された。
こうしたブロードバンド環境の整備は光回線普及でさらに急伸し、インターネットが日常と言えるユビキタス社会へと国内を変貌させる。インフラの整備に伴いネットワーク技術が大きく進化したこともカラオケの高機能・高性能化を促す要因となっている。ハードディスクの大容量化によってLDオートチェンジャーのオーバーフローが問題視された頃の10倍以上に収録曲数が増加。人気楽曲にはカラオケ音源だけでなく、見本歌唱や歌い手本人の歌唱に加えて観ても楽しめるコンサート映像までもが収録されている。加えて機器のコンパクト化も進みコマンダーとアンプは一体となり、本体に配した液晶タッチパネルで操作性も格段に向上した。'10年以降は映像のハイビジョン化が急速に進み、モニターの大型化とも相まってアーティストのライブ会場が映し出される光景は、さながらパブリックビューイングと称され、仲間同士で楽しめるカラオケボックスは「推し活」の場としても多く利用されている。
ネット社会は個々人の生活様式を大きく変えたが、カラオケ版SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「DAM★とも」や「うたスキ」は、利用者が自分の歌声や姿を仲間に発信できる新たなカラオケの楽しみ方を提供した。今や1,000万をこえる人々が利用するこのサービスだが、手軽に使える手もと端末の果たす役割が大きい。そもそも'95年に登場した電子目次本は、'02年に「デンモク」、'04年「ナビカラ」、「キョクNAVI」など各社ラインアップが揃い、一気に導入が進んだ。この電子目次本は、その後にカラー化、更にはタブレット端末化するなど、操作性と多機能性で、選曲のみならずゲームや採点、そしてSNSほか多彩なコンテンツを楽しむ際の手もと端末として、カラオケに不可欠な存在となっている。
エルダー市場の創造とカラオケのさらなる拡がり
そもそも高齢者介護や福祉施設向け商品の業界投入は'01年だったが、'09年以降「エルダー市場」として顕著な増加を遂げ、'13にはカラオケの導入施設が2万を超える。'11年に第一興商が生活総合機能改善機器として専用コンテンツ搭載の「FREE DAM」を発売。エクシングも'13年に「JOYSOUND FESTA」を発売。エルダー市場に専用機が登場したことで、より普及に拍車がかかり、現在は約3万台が稼働する市場を創造した。第一興商は更に操作性と機動性高めた「FREE DAM HD」を'16年に、'22年にプログラム数の大幅追加や専用アプリで介護現場の負担軽減を図った「FREE DAM LIFE」を発売。エクシングは'18年に音楽療養コンテンツ「健康大国」搭載の「JOYSOUND FESTA2」投入、'22年にはサブスクモデルで導入時の初期費用や運用費用を抑えられる「健康王国DX」をタブレットタイプにして発売した。専用機には、カラオケだけでなく体操や想い出映像など介護現場で役立つ豊富なコンテンツが搭載されており、レクリエーションや介護プログラムの一つとして役立っている。高齢者福祉施設のカラオケ利用に占めるこうした専用機の設置割合は、今や約8割に達している。昨今ではストレス解消、免疫力向上、嚥下機能や口腔機能改善、認知症予防など、様々なカラオケの健康効果が学術的にも証明されている。超高齢化社会に入った我が国にあって、カラオケが医療や福祉の現場で更に活用されることが期待されている。
進化を続けるカラオケ
前述の通り、'10年7月にエクシングとBMBが合併したことにより、第一興商とエクシングのメーカー二社体制となった。二社体制後の'12年にエクシングからフラグシップ機として発売されたのが、「JOYSOUND f1」。その後'15年に「JOYSOUND MAX」、'17年「JOYSOUND MAX2」、'19年「JOYSOUND MAX GO」、そして'23「JOYSOUND X1」へと続く。曲数の充実、X-Lebenやハイレゾ対応などの独自音源追加など系譜を辿る毎に進化を遂げているJOYSOUNDシリーズだが、カラオケ以外の映像コンテンツを提供する「みるハコ」を「JOYSOUND MAX GO」と同時に'19年からスタート。「JOYSOUND X1」投入時の'23年には、オンラインで離れたボーカルスペースを繋ぎコミュニケーションが図れる「X PARK」サービスが始まった。大容量データの通信が不可欠なサービス提供には、親会社のブラザー工業が提供するコンテンツ配信プラットフォーム「Einy」の技術も活かされている。
一方、トップメーカーの第一興商は、人気のDAMブランドのフラグシップ機として'10年に「LIVE DAM」を投じて以降、'15年の「LIVE DAM STADIUM」、'19年の「LIVE DAM Ai」とフルモデルチェンジをしつつも、LIVE DAMシリーズとして一貫しており、歌いやすさを追求した音質や豊富な本人動画に加えて映像の高画質化、テレビの歌番組でお馴染みになった採点機能の充実、そして操作性の向上など歌い手重視の施策で「DAMで歌いたい」と言うLIVE DAMファン獲得に成功している。「LIVE DAM Ai」投入時に発売となったピンクと白のハーモニーマイクは、黒一色だったカラオケのマイクイメージを一新し、清潔さと明るいカラオケイメージの象徴となり、業界スタンダードになった感がある。また、ライブ会場さながらの臨場感溢れる映像を提供する「ライビュー!」を'21年から配信。ナイト市場の人手不足を解消するバーチャルコミュニケーション「本日出勤」を'23年に開始するなど、カラオケ設置店に役立つ様々なコンテンツ提供が行われている。尚、コロナ禍に発売を控えていた第一興商は、待望のフラグシップ機を2025年3月に発表する予定。
コロナ禍乗り越え、新たな可能性を次代へつなぐ
ここまで、ハードとソフトを通してカラオケの歴史を眺めてきたが、カラオケは常に時代の最先端技術と密接に結び付いて発展してきたことがわかる。業務用カラオケ市場で技術を熟成、家電商品化された例も枚挙にいとまがない。アナログからデジタルへ、ニューメディアからマルチメディア、そしてユビキタスへと、市場を問わず時代を牽引してきたカラオケ。現在の主役である通信カラオケにおいても、異業種に先駆けて、ネットワークビジネスを具現化。近年では、通信インフラの整備・ブロードバンド化を受けて、地域を超えたリアルタイムのコミュニケーションを現実のものとしている。また、遠くない将来には、通信システム上に様々な業務用コンテンツが共存する日が訪れるであろう。市場規模の6割を失ったコロナ禍と言う未曽有の難局からもしなやかに回復を遂げつつあるカラオケ業界。自粛を余儀なくされた制限期間には、健康面からも「歌いたい」「カラオケしたい」と言う声が多く挙がった。そしてアフターコロナでは渇望した若者や年配者が昼間のカラオケボックスへ以前に増して訪れた。カラオケ…誰もが手軽に楽しめる日本発の文化・娯楽。この産業・ビジネスは今後も時代とともにスタイルを改め、歌う喜びと、新たな可能性を伝えてゆくに違いない。更に健康産業と言う追い風に乗って。
当ホームページに掲載の文章・図表などの無断転載を禁止します。